少し冷却期間をおけば、自分のことは忘れて、すぐにほかの誰かを見つけるだろうと真紘は思っていた。そうなることを願っていた。
けれど甘かったようだ。むしろ、あの朝美が半年も会わずに我慢していたことに感心すべきだった。 真紘はため息を吐き出した。
「だから、それは恋じゃないんだよ。朝美はおれが朝美にひどいことはしないって知ってるから、ただ安心してるだけなんだ。実のお兄さんに甘えてるようなものなんだよ」
「半年も会いに来てくれないのはひどいことじゃないの? ……あたし、わかったよ。真紘は誰にでもやさしいけど、それって誰も好きじゃないってことと同じなんだ」 真紘には返す言葉がなかった。朝美の言うことは当たっていた。今まで真紘は誰か特定の人間に執着したことがなかった。なにもない自分が誰かになにかを期待することは許されない。期待したところで報われることはない。そう思い込んでいた。だから、自分の気持ちを殺し、死にながら生きることに慣れてしまっていた。
そんな真紘を生かしてくれたのが謙司だった。真紘は初めて他人に安らぎを求めた。失いたくないと思った。 けれど、その願いは叶わなかった。真紘は謙司を永遠に失ってしまった。 「誰も好きにならないほうが楽なんだよ」
朝美は不審そうに眉を顰めた。
「じゃあ、タカヤはなに? なんであんなにうれしそうな顔してタカヤを待ってるの?」
朝美にとっては、相手の性別など問題ではないらしい。真紘の関心を惹く者すべてが許せないのだろう。
真紘は返事に窮した。どう答えたらいいのか迷っているのではなく、自分の気持ちがよくわからないのだ。
謙司の記憶を失うのではないかと怯えて暮らしていたとき、目の前に彼の面影を残した鷹也が現れた。真紘はこの謙司と血を分けた弟が、自分に謙司を忘れさせずにいてくれると思った。実際、鷹也は幼い頃に3人で遊んだ思い出をよく話してくれた。
最初のうちは、謙司の思い出話を聞くたびに、真紘の中で彼の残像がはっきりと浮き上がってくるような気がしていた。
ところが、実際にはその思い出話が真紘の中の謙司を過去の世界へ追いやり、身近に感じる鷹也の体温や呼吸が、謙司の思い出を霞ませていく。鷹也の存在が、謙司の記憶を凌駕する。 その事実から、真紘はずっと目を逸らしてきた。 信じたくなかった。 自分が自分を裏切ろうとしている。 項垂れる真紘に、朝美が追い討ちをかける。 「タカヤは真紘の特別なの?」
容赦のない問いかけに、真紘はゆるゆると首を振った。
「違う……そんなことはない」
真紘にとっての特別は謙司だったはずだ。真紘は必死にあの頃の感覚を思い出そうとした。そして、そのために少しばかりの努力を必要としたことに、再度ショックを受けた。
それでも思い出すことができるということは、記憶を失ったわけではないということだ。ならば、単に自分は薄情な人間だということになる。 真紘は自分に失望した。 真紘の葛藤を知る由もない朝美は、真紘が彼女の言葉を否定したことで、とりあえず怒りを収めたようだった。
「特別じゃないならいいのよ」
そのとき、遠くで階段を上る足音が聞こえた。足音は次第に近づいてきて、真紘の部屋の前で止まった。
ふたりは同時に玄関へ視線をやった。
コンコンというノックのあと、ドアが開いた。
「真紘、焼き芋買ってきたよ」
玄関で靴を脱ごうとして、鷹也は急に慌て出した。
「あっ、悪い。お客さん来てたの?」
朝美は上着を掴んで立ち上がった。
「あたしを好きじゃなくてもいい。そのかわり、誰も好きにならないで」
見上げると、朝美の冴え冴えとした瞳が真紘を見下ろしていた。その瞳を、真紘はきれいだと思った。
朝美はすれ違いざまに鷹也を睨んで去っていった。
鷹也はすまなそうに真紘の顔色を窺う。 「ごめん。邪魔しちゃったかな」
「そんなことないよ。逆に助かった。彼女は園で一緒だった子でね。懐いてくれるのはいいけど、たまにやんちゃすぎて困るんだ」
「あの子は真紘のことが好きなんだね」
真紘は鷹也の言葉を聞き流し、朝美が一度も口をつけなかったマグカップを持って台所に立った。 「コーヒー淹れるから座って。あ、焼き芋ならお茶のほうがいいかな」
「そうだね」
朝美の話題を避けたい真紘の気持ちを汲み取ってくれたのか、鷹也はそれきり彼女のことには触れなかった。
焼き芋を食べながら、鷹也はいつものように学校での出来事を熱心に語って聞かせてくれた。
けれど真紘は上の空だった。相槌を打ちながらも、頭の中では朝美の声がリフレインする。 「タカヤは真紘の特別なの?」
ひどい焦燥感が真紘を襲う。
朝美の言葉を否定する自分を支えるために、なにか手立てがほしい。
「なあ、聞いてる?」
真紘ははっとなった。
「あ、ごめん……」
それを見て、鷹也がため息をつく。
「いいよ。真紘、疲れてるんだろ? 今日はもう帰るよ」
立ち上がろうとする鷹也の脚に、真紘は思わず縋りついた。
「待って。頼みがあるんだ」
言いながら、真紘は自分の思いつきに驚いていた。
「な、なに?」
一瞬、うろたえた表情を見せたが、鷹也はすぐに落ち着きを取り戻し、やさしい眼差しで真紘を見下ろす。
「なんでも言ってよ。俺にできることならなんでもするよ」
そのやさしさが、真紘を後ろめたい気持ちにさせる。
これから自分が口にしようとしていることは、とんでもなく非常識なことなのではないか。そこまで鷹也に甘えてしまっていいのだろうか。 けれど、今の真紘にはどうしてもそれが必要だった。
「謙司さんの……」
「兄貴の?」 「骨がほしいんだ」
「え……?」
ぽかんと口を開いている鷹也に、真紘は命乞いでもするかのように必死に懇願する。
「小指の爪ほどの小さな欠片でいいんだ。無理なら灰を……ほんの少しでかまわない。おれにも分けてくれないか。頼む」
鷹也は少し考え込んでから、静かに口を開いた。
「理由を、訊いてもいい?」
真紘は鷹也を引き止める手を解き、膝の上で握り締めた。
「謙司さんを……忘れそうで怖いんだ。あの人を忘れないために、肌身離さず持っていたい」
鷹也は悲しげに目を伏せた。
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