もうだめだと思った。自分が意気地なしだから、子どもだから、中原は付き合いきれなくなって離れようとしているのだと思った。それを裏付けるように、中原は十哉から顔を背けたまま沈黙している。
もうこの人はおれを見ない。
心配そうなやさしい瞳も、怖いような真剣な瞳も、もう二度とおれに向けられることはないのだ。
十哉は中原の脇をすり抜けて扉へ向かった。中原の前から消えてしまいたかった。 だが、ドアノブに手をかけて引こうとしたとき、背後から覆いかぶさるように腕が伸びてきて、扉を押さえつけた。 「待てよ」
背中に中原の体温を感じながら、十哉は身体を強張らせた。なにを言われるのか怖かった。もうなにも聞きたくなかった。
しかし、十哉が耳を塞ぐより早く頭上から声が降ってきた。 「悪かったよ……。嫌いになんて、なるわけがないだろう」
さっきまでの冷ややかさは消え、代わりに中原の声には苦悩が滲んでいた。
それでも俄かには信じがたい。
「だったらなんで……」
非難めいた十哉の問いかけに、中原はもう一度ゆっくりと繰り返した。
「嫌いになるわけがない」
その言葉に嘘はないと信じたかった。
どこかでまだ逃げ出したいと考えている気弱な自分を叱咤し、十哉は恐る恐る中原のほうへ向き直った。 「本当に?」
中原は十哉の両肩に手を置き、やさしく囁いた。
「本当だ。十哉が大事だよ」
十哉の中で張り詰めていたものが一気に緩む。安心したせいか、膝から力が抜けてがくがくする。扉に背中を預けないと、自力では立っていられなかった。それでも、口だけは強気を装った。 「じゃあ、もう二度とおれを名字で呼ぶなよ」
中原がため息まじりに笑った。
「まったく、おまえには敵わないよ」
そう言うと、中原は十哉のつむじにキスを落とした。十哉はくすぐったい感触に肩を竦ませる。
「おまえが納得のいく関係を沢と築けるまで見守っててやる。約束だ、十哉」
しかし、その言葉は十哉が期待していたものとは違っていた。そのうえ期限つきである。
十哉は心得顔で頷きながらも、内心は複雑だった。中原との関係が修復できてうれしいはずなのに、素直に喜べない。胸が苦しい。 十哉自身、誰が一番とか、そういう順位づけに意義を見出せなくなっていた。けれど、中原はあくまで十哉が沢の一番になりたがっていると思っている。中原は自分が沢と正面から向き合えるよう後押しをするために、そばにいて助けてくれるのであって、決して中原自らが十哉と一緒にいることを望んでいるわけではないのだ。 中原の言葉は、つい忘れかけていたことを十哉に再認識させた。少し寂しい気もしたが、沢の問題があるかぎり、十哉は中原を失わずにすむのだ。そう自分を納得させるしかない。 十哉は大きく息を吸い込んでから、いつものようにふてぶてしく振舞った。
「じゃあ、早速だけど、携帯の番号を教えてよ」
十哉はスラックスのポケットから携帯電話を取り出し、中原が言う番号を押した。すぐに中原のポケットの中で着信音が鳴る。携帯電話を開いて十哉の番号を電話帳に登録する中原に、十哉は質問した。
「なんで片野の番号は知ってるんだよ」
一瞬、中原は言い淀む。
「あ、あぁ、それは……片野からも相談を受けたりしてるから」
「相談って?」
「それは俺の口からは言えないよ。本人に訊いてごらん」
その答えは気に入らなかったが、個人の秘密を守るためだということは理解できる。それだけ、中原が信用に足る人間だということだ。
しばらくして、当の本人がやってきた。 「あれ、柳田もう来てたんだ」
いきなり、中原になんの相談をしているんだ、とは訊きにくい。どう切り出したらいいか十哉が悩んでいると、中原が助け舟を出してくれた。
「片野、おまえから受けてる相談のことなんだけど、十哉にも話してやっていいか?」
中原ほどには、片野は頓着していないようだった。
「ああ、あれ? べつにいいよ」
そう言って、片野は自分から話し出した。
「俺、演劇のシナリオを書いてるんだ。それを賞に応募しようと思ってて、それで中原さんに相談にのってもらってたんだ」
思いがけない話に、十哉は感嘆の声をあげた。
「へえ、おまえシナリオ書けるの? すごいな」
尊敬の眼差しで片野を見つめる。
「そうだ、今度書いたやつ持ってくるから、柳田も読んで感想を聞かせてくれよ」
「う、うん。おれなんかでよければ」
片野の知られざる一面を知り、十哉は今まで感じたことのない親しみを片野に対して抱き始めていた。それは満ち足りていて、それでいてちょっぴり気恥ずかしいような感覚。これが自分の求めていたものなのかもしれない、と十哉は思った。
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