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 マンションに辿り着き、申し訳程度のエントランスを抜けると、ちかちかと明滅する灯りの下に、小さくうずくまる人影があった。
 一瞬、足を止めた夏人は、再び落ち着いた足取りで歩き出した。自分の部屋の前で立ち止まり、制服姿の弘を見下ろす。
「いつからそこにいるんだ?」
「先生……」
 弘は憔悴した顔を上げた。その心細げな表情に、夏人は手を差し伸べたくなる。
 その手はしかし、実際には鞄のポケットに差し入れられた。部屋の鍵を取り出すと、夏人は玄関ドアを開け、弘を招き入れる。
 奥の和室に上着と鞄を放り込むと、夏人はキッチンに立って、コーヒーを淹れ始めた。
 玄関の上がり口で項垂れている弘を、いつも彼が座っていた席へ促す。
「管理会社に連絡して、部屋の前の蛍光灯を取り替えてもらわないとな」
 弘は身じろぎもせず俯いている。
「さっきは悪かったな。俺に話があったんだろう?」
 なおも弘は黙ったままだ。
 夏人は、弘が話す気になるまでじっくり待とうと腹を据えた。
「そういえば、まだ餌をやってなかったな」
 正面から向き合っていると、かえって話しにくいのかもしれないと考え、夏人は冷蔵庫から生きたイトメの入った容器を取り出し、水槽部屋に入っていった。
 暗い部屋の中で、アクアリウム専用の照明に照らされたアピスト水槽が、ぼうっと浮かび上がっている。昼間の明るい部屋で見る水槽とはまるで違い、幻想的な非日常的空間と化した部屋で、夏人はアピストに声をかけながらイトメを与えた。
 それでも意識は弘のほうに向いているため、部屋の戸口に弘が立ったことは気配でわかった。
「暗い部屋で見る水槽もいいもんだろ?」
 夏人は餌やりの手を休めずに話しかけた。すると、弘はやっと口を開いた。
「おれもよく、部屋の灯りを消して水槽を眺めるんだ。……そうすると、なんだか落ち着くんだ」
 それからしばし沈黙したのち、弘の硬い声が静謐な空気を震わせた。
「親父が……やっぱり一緒に暮らさないかって言ってきた。もしそうなったら、転校することになると思う」
 驚いた夏人は、弘を振り返った。逆光のせいで、弘の表情は薄っすらとしかわからない。
「母さんは何も言ってくれない。……おれが邪魔になったのかな」
 その声から、弘の不安が伝わってきた。
 しかし、教師である夏人が動揺するわけにはいかない。
「邪魔にするはずがないだろう。親父さんと離婚して、女手ひとつでお前を育てていく覚悟を固めたほどだ。それは愛情がなければできないことだよ」
「わかってるよ。本当はそんなことわかってるんだ。そうじゃなくて……おれがいなければ、母さんだって気兼ねなく恋人つくったり、再婚したりできるだろ」
 そういうことか、と夏人は少しだけ安心した。口では父親の肩を持つようなことを言っていたが、やはり母親のこともちゃんと愛しているのだ。
「親父だけが幸せになったんじゃ、母さんがかわいそうだ。今までずっと苦労してきたんだから、もう幸せになってほしいし、おれも親孝行がしたい」
 夏人の目には、すでに弘の中で答えが出ているように、母親を選んでいるように映った。ただ、父親を切り捨てる踏ん切りがつかないだけなのかもしれない。
 濡れた手をタオルで拭うと、弘の顔がよく見えるよう近づいた。
「だったら、お前が幸せにしてやれよ」
 夏人の真意がすぐには伝わらなかったらしく、数秒あってから弘は頷いた。
「……うん」
 夏人はほっと息を吐いた。これで弘が転校することはなくなったと思った。
 けれど、弘の顔色は晴れない。
「だったら……おれは? おれの幸せはどこにあるの?」
 冗談めいた口ぶりだったが、弘の瞳の奥は笑ってはいなかった。
 何か言ってやりたい。
 しかし、夏人の中にはまだ迷いがあった。
「なんてね。男のくせに女々しいよな」
 無理やり繕った弘の笑顔が、夏人の胸に突き刺さる。
「じゃあ、帰るよ」
 夏人に背を向けて、弘は玄関のほうへ歩いていく。その背中を引き止める言葉を、夏人は無意識のうちに探していた。
「弘……」
 それは、教師と生徒として再会したその日から、ずっと封印してきた呼び名である。
 弘の肩が微かに緊張し、ゆっくりと振り返った。
「憶えてるかな。おれ、準備室で椅子の上から落ちたことがあっただろ。あのときも先生〝弘〟って呼んでた」
 ふっ、と消え入りそうな微笑みを浮かべる。
 およそ弘らしくない、その弱々しい表情を目にしたとき、夏人の中で何かが引っかかった。
「いっぱい迷惑もかけたちゃったけど、いろいろとありがとう……夏人さん」
 そう言うと、弘は壁に手を突いて、立ったままスニーカーにつま先を入れる。
 夏人の心に、津波のような不安が押し寄せてきた。
 何かが変だ。間違っている。
 まるで、もう二度と会えないみたいじゃないか。
 ようやく夏人は、自分が思い違いをしていることに気づいた。弘は母親ではなく、父親のもとへ行くことを選んでいたのだ。
 行かせたくない。
 けれど、ここで引き止めるということは、自分の気持ちを晒し、弘の想いを受け入れるということだ。
 弘が玄関ドアのノブに手をかけた。
 その瞬間、夏人の身体は自然に動き出していた。靴下のまま玄関のたたきに下り、弘の手首を掴む。
「行くな。どこへも行くなよ」
 弘の背中が小刻みに震える。
「な、なに言ってるんだよ」
 振り向こうとしない弘に、夏人は大人のプライドも打算もかなぐり捨てて、もう一度繰り返した。
「父親のところへは行くな。俺のそばにいてほしい」
 困惑の色を湛えた大きな瞳が、夏人を見上げてくる。
「だって……いいの? おれ、先生のことが好きなんだよ?」
 信じられないという顔の弘のために、夏人は自らの退路を塞いだ。
「わかってる」
 弘はなおも不安げな表情を見せる。
「先生を困らせるかもしれないよ?」
 夏人は自棄気味に微笑んだ。
「もう、慣れた」
 体温を感じるほど近くにある弘の身体を、夏人は静かに抱き寄せた。
 弘の耳元で「すまなかった」と低く囁くと、弘は夏人の背中に腕をまわし、幼い子供のようにぎゅっとしがみついてきた。
 それから上目遣いに見上げてくる。
「ほんとだよ。こんなに意地悪な大人がいるとは思わなかった」
 生意気な言葉とは裏腹に、弘の瞳は潤んでいる。
 身体の奥から愛しさが込み上げてきて、夏人は弘の唇にそっと短いキスを落とした。
 すると弘は背伸びをして、夏人の顎先にキスを返してきた。
 今度は額にキスをしてやると、弘はくすぐったそうに肩をすくめて笑った。
 そのとき突然、電子音が鳴り響いた。
「あっ、おれだ」
 夏人が腕を解いてやると、弘は慌てて学生ズボンのポケットから携帯を取り出した。
「メール……哲太からだ。この間のこと、会って謝りたいって」
 内心では「あいつか」と思いながらも、夏人は顔に出さない。
「よかったな」
「うん」
 嬉しそうに微笑むと、弘は携帯電話をポケットにしまいながら言う。
「それじゃあ先生、おれ行くから」
「え?」
 意味がわからない。
「またね」
「って、おいっ」
 弘はドアを開け、勢いよく飛び出していってしまった。
 さっきまでの甘い空気はなんだったんだ。
 呆然と立ち尽くしていると、ぱたぱたと足音が近づいてきて、再びドアが開いた。
「明日、水槽の水替え手伝いに来るからね」
 一言だけ残して、足音はまた遠ざかっていく。
「なんなんだ、あいつは」
 夏人は無性におかしくなって、ふつふつと笑いが込み上げてきた。
 サンダルを引っかけて表に出ると、弘はエントランス脇の駐輪場に止めてある自転車に跨り、すでにペダルを漕ぎ出していた。
「気をつけて走れよ」
 夏人の声に振り返り、弘は手を振って応えた。
 暗い夜道に溶け込んでいく弘の姿を、時折、橙色の街灯が照らし出す。
 弘の背中を見送りながら、夏人は少しずつ現実へ引き戻されていく。それに伴い、言い知れぬ不安が、さざ波のように足元から這い上がってきた。
 弘のあの無邪気さはどうだ。
 何もかもわかっているように見えても、やはり弘は世間を知らない十六の子供だ。
 今はよくても、この先いつか弘が自分の過ちに気づいて、夏人との関係を後悔する日が来ないとも限らない。
 そう想像しただけで、夏人は暗い穴に落ちていくような恐怖に襲われた。
 本当に弱いのは大人のほうかもしれない。
 臆病で打算的で自分を守ることに必死な夏人よりも、子供の弘のほうがよっぽど強い。今は大人の手が必要でも、いつか弘は自分の力で外の世界へ泳ぎ出すだろう。
 そのときが来たら、自分は弘のために最善の道を選ぶことができるだろうか……。
 そう自分に問い続ける覚悟を、この夜、夏人は密かに固めた。





END



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こちらもどうぞ。→「煙草の味」(妄想ショートショートより)


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大人って・・・
連続コメ、スミマセン。
弘はモヤモヤが晴れてスッキリ!!ε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ
夏人は自分の気持ちを伝えてさらにモヤモヤ(笑)
無邪気さって時に罪ですねぇ。(´ー`)

SS→本編→SSの順番で読んでしまったのですが、SSの印象が1回目と2回目で違って、なんだか2度おいしかったです。
無垢な子を大切にするあまり、いつまでも手が出せない夏人を想像してムフフ・・・でした。
ありがとうございました。
Takano 2009/07/23 14:33 *edit
いえいえ
たくさんコメントをいただけるのはうれしいです♪
とくに過去の作品の感想をいただけるのはとてもありがたいです。

>無邪気さって時に罪ですねぇ。(´ー`)
↑そうなんですよね。この話では子どもと大人のギャップを書きたかったので、
そのあたりを読み取っていただけてうれしいです。

>無垢な子を大切にするあまり、いつまでも手が出せない夏人を想像してムフフ・・・でした。
↑こちらこそ、ムフフとしていただいてありがとうございました!(笑)
ほかにも妄想SSに紛れてる場合があるのですが、ちゃんと整理したほうがいいのかな。
再考の余地がありますね。

またよろしくお願いします♪
朔田圭子 2009/07/23 16:40
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